こんにちは、西風スマイルです。
FIRA60(60歳での、ちょっと早めのリタイア)まで、残り約610日。59歳の会社員です。
今月、久しぶりに残業をしました。
月に20時間ほど。世間から見れば、たいした量ではありません。ここ1年位は、ほとんど残業をしていなかったので、私にとっては久しぶりでした。
残業代は、当然つきます。ありがたい話です。
それなのに、まっさきに頭に浮かんだのは、こんな言葉でした。
時間を、売ったな。
……我ながら、ひねくれています。
でも、この感覚が気になって、今回は少し調べてみることにしました。
私は、週に何時間働いているのか
まず、自分の労働時間を数えてみました。
通常、週36時間。1ヶ月にすると、180時間ほどです。
そこに今月は、20時間の残業になりました。
数字にしてみると、あらためて思います。1ヶ月のうち、200時間。
起きている時間の、かなりの部分です。
以前、退職後の時間割を考えた記事で、今の私の時間配分を書きました。仕事が70%、ランニングが10%、ブログが5%、資産運用の判断が3%、その他が12%。
あの70%の正体が、この200時間です。
▶ その70%が消えたあと、一日をどう組むか。考えてみたのがこちらです
→ 「FIRA60の時間割——私のリタイヤメントプランニングの穴」
「働くと長生きする」と「働きすぎると死ぬ」
ところで、働く事と寿命については、正反対の話をよく目にします。
ひとつは、「退職すると老け込む、早く死ぬ」という説。
もうひとつは、「働きすぎると、体を壊して寿命を縮める」という説。
どちらも、なんとなく分かる気がします。
仕事を失って、途端に元気を無くした先輩の話は聞いたことがありますし、働きすぎて倒れた人の話も、この業界にいれば珍しくありません。
では、どちらが本当なのか。
気になったので、調べてみました。
調べてみた
AIに手伝ってもらって、両方の研究を調べてみました。
まず、「働き続けると長生きする」ほうです。
米オレゴン州立大学が、18,000人以上を18年間追跡した調査があります。65歳を超えて1年長く働くごとに、全死亡リスクが低下していた、という結果でした。健康な人だけでなく、持病がある人でも同じ傾向だったそうです。
理由として挙げられていたのは、この三つです。社会的な役割を失うことによる認知機能の低下。運動量の減少と生活リズムの乱れ。そして、人とのつながりが途絶えることによる孤立。
……3つ目まで見て、思わず苦笑いしました。五つの富で言えば、健康と社会資本の話そのものです。
一方、「働きすぎると体を壊す」ほうも、データは山ほどありました。
WHOとILOの共同研究(2021年)では、週55時間以上働く人は、週35〜40時間の人と比べて、脳卒中のリスクが35%、虚血性心疾患による死亡リスクが17%高い、と報告されています。労働に起因する疾患死の最大の要因は、長時間労働だと結論づけていました。
さらに、60万人以上を対象にしたメタ分析でも、長時間労働と心疾患・糖尿病・睡眠障害・うつの間に、強い相関があるとされています。
もうひとつ、興味深いものがありました。
労働時間そのものより、「自分に裁量権がない状態で働くこと」のほうが、健康への影響が大きいという研究です。裁量のない立場ほど、心疾患のリスクが高い。ロンドンの公務員を長期追跡した、有名な研究があります。
(※AIの回答には、この研究の名前として別の固有名詞が挙がっていましたが、調べると経済シンポジウムの開催地名でした。おそらく取り違えです。数字や研究名は、やはり自分で確かめないといけません。)
つまり、こういうことになります。
働くこと自体は、悪くない。むしろ体にはいい。
悪いのは、長すぎる労働と、自分で決められない労働。
死ぬ前に、人は何を後悔するか
もうひとつ、気になっていたものを調べました。
「死ぬ前の後悔」です。
よく引用されるのは、ブロニー・ウェアという緩和ケアの看護師が、看取りの現場で聞いた言葉をまとめた本です。学術的な統計調査ではなく、一人の看護師の記録です。
それでも、内容は考えさせられます。上位五つは、こうです。
- あんなに仕事ばかりしなければよかった
- 自分らしく生きる勇気を持てばよかった
- 自分の気持ちを、もっと素直に伝えればよかった
- 友人と、連絡を取り続ければよかった
- 自分を、もっと幸せにしてあげればよかった
そして、一つめの「あんなに仕事ばかりしなければよかった」は、特に男性から圧倒的に多く聞かれた言葉だそうです。
男性から、圧倒的に。
ここを読んで、少し背筋が伸びました。
後悔しているのは、働いたことではない
ただ、この五つを読んで、大事なことに気づきました。
誰も、働いたこと自体を後悔していません。
後悔しているのは、仕事のために、家族や友人との時間や、自分のやりたかったことを、犠牲にしすぎたことです。
つまり、バランスの話でした。
そう考えると、私が立てていた問いが、そもそも間違っていたことになります。
働くか、辞めるか。
あるいは、何時間働くか。
どちらも、本質ではありませんでした。
問題は、働いている時間が、ほかの全部を押しのけているかどうかです。
1ヶ月200時間でも、残りの時間に家族や友人や自分のやりたいことが入っているなら、たぶん後悔は残らない。
逆に、月100時間でも、頭が仕事だけで埋まっていたら、同じ後悔をするのだと思います。
そして、さきほどのデータにも、同じことが書いてありました。
体に悪いのは、長すぎる労働と、自分で決められない労働。
裏を返せば、こうなります。
自分の時間割で暮らせているかどうか。
たぶん、それが分かれ目です。
「会社に残りましょう」と言われる
最近、こんなふうに誘われることがあります。
「会社に残りましょうよ」
再雇用の話です。実際に、2〜3人から言われました。
ありがたい話ではあります。60歳で辞めると宣言している人間に、そう言ってくれるのですから。
ただ、正直に書きます。
あれは、私の能力を惜しんで言ってくれている訳ではないと思っています。
人手が足りない。
夜勤も断らない。
文句も言わない。
そういう都合のいい駒が、一つ抜けるのが困る。
私から見ると、そういう感じがするのです。
似た言葉に、こういうものもあります。
「会社辞めたら、やることないでしょ」
ブログを読んでいても、この手の問いはよく出てきます。定年を控えた人間が、必ず一度は投げかけられる言葉なのでしょう。
どちらの言葉にも、共通しているものがあります。
物差しです。
時間=労働。
生産性=価値。
その物差しだけで、人生を測っている。
私も、同じ物差しを持っている
……と、他人事のように書きましたが。
言われた時、私はうまく言い返せませんでした。
理由は、はっきりしています。
私も、同じ物差しを持っているからです。
考えてみてください。人生の大半、時間にして70%も使ってきたものです。41年です。
その物差しが、退職した翌日にきれいに消えるとは思えません。
仕事の物差しでしか、人生の充実を測れない状態。あれを変えるのは、そう簡単ではないはずです。
では、どうすれば別の物差しが手に入るのか。
ひとつ、思い当たることがあります。
『今日、飲みに行こう。』
そう言って、すぐに出てきてくれる友達がいれば、会社の物差しは要らなくなります。
仕事以外の場所で、自分の時間を測る目盛りができるからです。
正直に数えてみると、3人でした
では、私にその友達が何人いるのか。
正直に数えてみました。
今日いきなり、というのは、流石にいません。
週末なら、3人ほど。
5人は、いない。
これが、59歳の私の、正直な数字です。
少ないと思われるでしょうか。それとも、多いほうでしょうか。
私自身は、まあこんなものだろう、と思っています。むしろ、ゼロでなかっただけ良かった。
以前、経済的に少し自由になった時に、一緒に遊ぶ相手がいないと気づいて愕然とした、という話を書きました。あそこから、少しは進んだわけです。
そして今、価値観の合う5人目を探しているところです。
……こう書くと、就職活動みたいですね。
だから私は、二択にしている
ここまで書いて、自分の選択について、もう一度考えました。
私は「働く」か「働かない」かの二択で、60歳退職を決めています。
世の中には、もっと柔軟な選択肢があります。週に10時間、20時間だけ働く形。嘱託でも、スポットでも。収入の保険にもなるし、社会とのつながりも残る。
悪い話ではありません。むしろ、賢い選択だと思います。
それでも、私は「働かない」を選んでいます。
理由は、やはり時間割です。
週に20時間でも働けば、その日は早く起きます。前日のトレーニングも調整します。夜勤が入れば、生活はまたそこに合わせて組み直される。そして、私の勤務に合わせて、妻の一日もまた動く。
仕事の比率が70%から20%に減っても、それは変わりません。
一日の中心が、また会社に戻ってしまうのです。
だからこれは、働きたくないという話ではありません。
私が決めているのは、これからの一日の中心に、会社を置かない、ということです。
物差しを変えるには、たぶん、それくらいしないと無理な気がしています。
▶ 私の勤務表に、妻の30年が合わせられてきた話は、こちらに書きました
→ 「専業主婦の定年——株式会社「チーム夫婦」のFIRA60」
おわりに
働くと長生きするのか、働きすぎると死ぬのか。
調べてみて分かったのは、そこに単純な答えは無い、ということでした。
働くこと自体は、体にいい。
悪いのは、長すぎることと、自分で決められないこと。
そして人が最後に後悔するのは、働いたことではなく、そのために他の全部を押しのけたこと。
だとすれば、私が目指すのは、働かないことではありません。
自分の時間割で暮らすことです。
何時に起きて、
何時に走って、
いつブログ書いて、
誰と過ごすか。
それを自分で決められている状態。
610日後に手に入れたいのは、暇ではなく、そのスタイルのほうです。
そして、そこに仕事が少し混ざっていても、本当は構わないのかもしれません。中心さえ、こちらにあるのなら。
……とか言いながら、今月の給与明細で残業代を確認して、少し嬉しくなっている私がいるのですが。
物差しを変えるのは、やはり簡単ではないようです。
それでは、また。
「自分の時間割で暮らす」というテーマは、実はこの2本の続きでした。よければ、こちらも。
▶ 退職後の一日を書き出したら、大事なものが「その他12%」に入っていた
→ 「FIRA60の時間割——私のリタイヤメントプランニングの穴」
▶ 私の勤務表で回ってきた30年と、定年のない妻の話
→ 「専業主婦の定年——株式会社『チーム夫婦』のFIRA60」


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