こんにちは、西風スマイルです。
60歳での早期退職「FIRA60」を目指している、58歳の会社員です。カウントダウンも、いよいよ640日を切りました。お金・時間・健康・好奇心・社会資本、この五つの富についてあれこれ考えてます。
今回から3回に分けて、「親の老後問題」を書きたいと思います
最近、実家の鍵を閉めた日のブログを書いて、親とのコミニケーションについて思い出すことが増えて、あれもあったな、これもあったなと記憶のジャーナルが開いたのでまとめて書きたいと思いました
まず、最近よく思うのは、親の老後は、FIREにとって思わぬ落とし穴に見えるのです。
FIRA60、3つ目の前提条件
FIRA60を成り立たせる前提条件を、私は3つだと考えています。(もちろん資産は必要ですよ)
1、住宅費の目処が立っていること(住宅ローンの完済)
2、子供の教育費の目処が立っていること、または独立していること
3、親の老後問題が落ち着いていること
私は運良く、この歳で、親の老後問題から解放されています。……と書くと、少し語弊がありますね。楽だったという意味ではありません。もう終わっている、という意味です。両親は、すでに見送りました。
関連記事:実家の鍵を閉めた日──両親を見送って、私が知ったこと
親は、自分の先を行く先輩
30代、40代の頃は、親の老後なんて、あまり気にかけませんでした。自分のことで手一杯です。
でもこれは、自分の老後と同じくらい、自分のライフプランと感情にのしかかってきます。
なぜなら、自分の親は、自分の先を行く先輩だからです。親の老後を見ていると、自分たちがどうなるかが見えてくる。お手本にもなるし、反面教師にもなる。
私の場合は、正直、反面教師の方が多かったかもしれません。
80代にかかる頃
私の経験では、親が80代にかかる頃に、だいたい親自身の生活に、何らかの支障が出てきます。
退職説明会の時、ある方が俯き加減で「私はこれから、親の介護が生活のメインになります」と言われていました。
あれは切実な言葉だったと思います。せっかく自由になる時間の使い道が、もう決まっているのです。
8割の親は、準備ができていない
これは統計ではなく私の肌感覚ですが、世間一般で8割くらいの親は、自分の老後の準備ができていないのではないかと思っています。
しかも、これからはインフレの時代です。私たちも、親も、本格的なインフレを経験していません。年金の額はほとんど変わらないのに、物の値段だけが上がっていく。この経験が、親世代にはないのです。
それでもオールドメディアでは、「90歳でも元気」という話が流れます。ああいうのを見ていると、自分の親の老後なんて、どこか遠い未来のことのように思えてしまう。
……いや、思いたかったのかもしれません。
「お金いくらあるの」
さて、親の経済状態を確認したい。ここで、最初の壁にぶつかります。
1年に1回しか会わない息子に「お金いくらあるの」と聞かれて、嫌悪感を抱かない親はいません。
こちらは心配して聞いているつもりです。でも、聞けば聞くほど、嫌悪感は増していきます。心配した量と、伝わる量は比例しない。むしろ反比例するのではないかと思うくらいです。
自分が親の側になってみると
これは、自分が親の側になって、やっと分かったことです。
私は娘に生前贈与をしています。その残高が、少しずつ減っていくのが見えるわけです。最初に気づいた時は、少しがっかりしました。
でも、これは当たり前のことなんですよね。親がくれたお金なんだから、使ってもいい。若いうちに自分へ投資するのは、当たり前のことです。パソコンを買うとか、旅行に行くとか、それならOK。
……推し活とかは、ちょっと勘弁してほしいけど。
こんなことを考えている時点で、私も「お金いくらあるの」と聞いてくる息子と、そう変わらないのでしょうね。
「私の死ぬ時の話はやめて」
母に、老後のお金の話をしようとしたことがあります。
返ってきたのは、この一言でした。
「私の死ぬ時の話はやめて」
これで終わりです。親の老後問題は、その一言で片付けられました。
母は、私に兄弟の愚痴を言っていた
母は私に兄弟の話をしていました。私には兄と姉がいますが、2人とも母とは疎遠になっていました。
その一因は、母だったと今は思っています。
母は、私に会えば兄弟の愚痴を言い、兄弟に会えば私の愚痴を言っていたようです。悪口……というほどではないですね。愚痴かな。今考えると、そのくらいだったと思います。
でも、これはまずかった。
親が兄弟の間の情報のハブになると、兄弟は直接話さなくなるのです。全部、親を経由して伝わってくる。しかも、親のフィルターがかかった状態で。
決定的だったのは、父の体調が下り坂になった頃です。兄も仕事が忙しくなった時期で、親を頼ろうとしたようですが、行き違いがあって、そこから連絡が取れなくなりました。
その頃、兄が両親に、こう言ったそうです。
「家を売って、俺の家に来ないか」
これを母は、こう受け取りました。
「あの子は、親の資産を狙ってる」
そして、こう続けたのです。「本当に心配しているなら、家のことなんて言わないはず」「何かお金に困っているんじゃないか」
……何だよ これは〜、と弟の俺は叫びたい。
兄が本当にそう言ったのかどうかも、私は知りません。私が聞いたのは、母の愚痴からです。兄からは、一度も聞いていません。
まあ、これだけで疎遠になったわけではないのですが。それにしても、家族のコミュニケーションというのは、一筋縄ではいきません。
こじれる正体——正論は、細い信頼の橋を渡れない
兄の言葉を、もう一度見てみます。
「家を売って、俺の家に来ないか」
冷静に読めば、これは正論です。高齢の両親、父の体調は下り坂、広すぎる家。家を現金に換えて、息子の家で同居する。ファイナンシャルプランナーが聞いたら、模範解答と言うかもしれません。善意すら、あったかもしれない。
でも母に届いたのは、正しさではありませんでした。「資産を狙っている」という、疑いでした。
理由は、言葉の中身ではないと思うのです。信頼です。長く疎遠だった息子からの正論は、正論であるほど、疑わしく聞こえる。細い橋の上に、重い荷物は載せられないのです。
「お金いくらあるの」が嫌われるのも、同じ理屈です。1年に1回しか会わない息子の心配は、心配の形をした詮索に聞こえる。信頼が細いところに、正論だけを積んでいく。すると、親の感情はついてきません。それどころか、積み上げた正論の重さで、橋そのものが落ちる。
親のお金の話がこじれる正体は、たぶん、これです。知識の問題でも、説明の上手い下手でもない。話の中身より先に、「誰が言うか」で決まってしまう。
そして厄介なことに、「誰が言うか」は、話し合いの当日には、もう変えられないのです。
それに、私も関わりたくなかった
ここは正直に書きます。
私も、母のお金にはできるだけ関わりたくなかったのです。親のことは親が自分でしてほしい、と思っていました。
理由があります。母のお金の使い道に、私にはどうしても納得できないものがありました。そこにお金が流れていることも、分かっていました。
何度も説得しました。でも、聞く耳をもって貰えませんでした。
それで、兄弟も距離を取り、私も最低限の付き合いにしたかったのです。
親の資産を守るとか、金融リテラシーとか、そんな立派な話をする前に、こういう感情があります。正論を言う側にも、感情があるのです。
じゃあ、どうすればいいのか
世間では「年に1回しか会わない親子」が多いと思います。それならまず、食事をして、最近の近況報告から——と書きたいところですが。
私はそうではありませんでした。
数ヶ月に1回、母を家に呼んで、数日私の家で過ごしました。
ちなみに、この家に父は来られませんでした。私が家を建てた、その年に亡くなったのです。建てていることは知っていたと思います。でも、自慢の家を見せることはできませんでした。
母を呼んでいたのは、純粋な親孝行ではありません。
兄弟は2人とも疎遠で、母には、もう私しかいなかったのです。私が疎遠になれば、母は本当に1人になる。
それに、妻と母を、なるべく仲良くさせておきたかった。2人の関係が良ければ、母もこの家に来やすいわけです。
だから母には、直接言いました。
「嫁に嫌われたら、会えなくなるよ」
母は素直に聞いてくれました。おかげで、この関係はうまくいきました。妻には感謝しています。
打算です。書いてみると、なかなか嫌な息子ですね。でも仕方ない、とも思っていました。橋を太くする方法を、他に知らなかったのです。
そして、85歳
母は父を見送ってから、10年ほど1人で暮らしました。
介護サービスを使いながら、85歳でも元気に暮らしているように見えていました。
変わったのは、ヘルパーさんやケアマネさんからの忠告です。
「記憶が曖昧になってきています。お薬を間違えて飲まれないよう、注意が必要です」
その後、母は帯状疱疹になりました。ここで、1人暮らしはもう難しいと、はっきり分かりました。
そしてこの頃から、母はお金のことを全部、私に任せてくれるようになったのです。
70代の頃は、あれだけ聞く耳を持ってくれなかったのに。自分の老いを、感じたのだと思います。
お金では、喧嘩になりませんでした
母のお金を預かるようになってから、こんなことがありました。
「お金を持っておきたい」と言うので、現金を渡していました。ところが後日、「あのお金が無い」と言われるのです。「〇〇!お金欲しいなら言って、あげるから、取らないで」
この年になれば記憶が曖昧になるのは、よくあること。歳をとるとお金への執着が強くなることも、知っていました。だから、その時は冷静に対応できました。
……でも、後から思い出すと、腹立たしい。
不思議なもので、当時は冷静だったのに、今の方が腹が立つのです。
むしろ、よく喧嘩したのは、お金の話ではありませんでした。
母が入院していた時のことです。寂しいだろうと思って見舞いに行き、病院の談話室で話をしていました。そこで、昔のままの子供扱いをされるのです。掃除のこととか、生活態度のこととか。母は綺麗好きな人でした。
命令口調で説教される。自分は、もう自分のことが何もできないのに。
私も何か言い返していたと思います。あまり覚えていませんが、昔母に言われた説教を、そのまま母に言い返したりしていました。……いい歳をした息子が、病院の談話室で何をやっているんだという話ですね。
やっと話せるようになった時には
そして、母のお金を全部預かるようになって、分かったことがあります。
金融資産としての貯蓄は、ほぼありませんでした。
あったのは、年金と自宅だけでした。
父の闘病と、母自身のがんの治療で、使い果たしていたのです。
準備が足りなかったのではありません。使わされたのです。
親と、お金の話ができますか。
70代、元気なうちは、聞く耳をもって貰えません。85歳、自分の老いを感じて、やっと全部を任せてくれました。橋が太くなるのを待っていたら、渡るものが残っていなかった——それが、我が家の実話です。
親の老後は、FIREにとって思わぬ落とし穴に見えます。
次回は、親の財布に手を伸ばしてくる人たちの話を書きます。保険、銀行、不動産、修繕業者。我が家に一番よく来たのは、どれだったか。


コメント