親の老後問題③ 距離を取っても、信頼は切らさない

FIRA60ー退職

こんにちは、西風スマイルです。

60歳での早期退職「FIRA60」を目指している、58歳の会社員です。カウントダウンも、いよいよ640日を切りました。お金・時間・健康・好奇心・社会資本、この五つの富についてあれこれ考えてます。

「親の老後問題」の最終回です。

第1回では、親とお金の話がどれだけこじれるかを書きました。

第2回では、母が大きな被害に遭わずに済んだ理由は3つの偶然だった、という話を書きました。

今回は、偶然ではなかったことを書きます。

……こう書くと、自慢くさいですね。

ただ、失敗談ばかり並べても、あまり役に立たないと思うのです。ですから今回は、上手くいったことを書きます。上手くいった、と自分では思っている、という程度の話ですけれど。

なお、私は司法書士でも税理士でもありません。制度の話は、必ずご自身で確認してください。

70代では聞いてもらえなかった話が、85歳では聞いてもらえた

第1回に書いたことを、もう一度書きます。

70代の母は、私の言うことを聞いてくれませんでした。まだ元気だからです。元気なうちは、老後の話も、お金の話も、通じません。

それが、85歳で変わりました。

ヘルパーさんから薬の管理を指摘され、帯状疱疹になり、1人暮らしが難しくなった頃です。母は、お金のことを全部、私に任せてくれるようになりました。

ここで大事なのは、このタイミングは、こちらでは選べないということです。

親が自分の老いを自覚した時。それが唯一の窓です。早すぎると聞いてもらえない。遅すぎると、今度は判断能力の問題が出てきます。

そして窓が開くのは、たいてい一瞬です。

だから、私たちにできることは1つしかありません。

窓が開いた時に、呼ばれる人でいること。

これだけです。準備というのは、結局それだけの話だと思います。

距離の取り方

ここからは、あまり格好のいい話ではありません。

私は長いあいだ、母のお金には関わらないと決めていました。

理由があります。母のお金の使い道に、私にはどうしても納得できないものがありました。何度も説得しました。でも、聞く耳をもって貰えませんでした。

説得しても届かない。関われば喧嘩になる。だから、無視を決めたのです。

逃げです。

でも、逃げなければ、たぶん縁が切れていました。

正論をぶつけ続けていたら、母は私にも心を閉じたはずです。実際、兄弟はそうなりました。

親のお金を守るという話になると、「早く話し合え」「専門家に相談しろ」という正しい答えばかりが並びます。でも現実は、その手前で止まります。

話し合おうとすると、喧嘩になる。

だから私は、話し合いを諦めました。諦めて、距離を取りました。

距離を取りながら、切らさなかったもの

ただし、距離を取ることと、縁を切ることは違います。

私が切らさなかったのは、これだけです。

1、数ヶ月に1回、母を家に呼んで泊めた

2、お金の話は、こちらからしない

3、喧嘩になる話題には、触れない

やっていたのは、それだけです。会う回数を増やしたわけでも、深い話をしたわけでもありません。

接触の量ではなく、信頼だけを残した——今から振り返ると、そういうことだったと思います。

第1回に書いたとおり、これは純粋な親孝行ではありませんでした。兄弟は疎遠で、母にはもう私しかいなかった。それだけの話です。

でも、結果としてこうなりました。

85歳で窓が開いた時、母が呼んだのは私でした。

兄弟は、接触そのものを切っていました。だから、呼ばれませんでした。母が悪いわけでも、兄弟が悪いわけでもありません。ただ、そういう構造だったのです。

距離を取るのと、見捨てるのは違う。

これが、私が一番言いたいことかもしれません。

妻との関係

母を引き取ると決めた時、私は妻に相談しました。

自分の親を引き取るということは、妻の生活を変えるということです。私にとっては、一番重い相談でした。

妻は、軽く「いいよ」と言ってくれました。

この一言には、今でも頭が上がりません。

ただ、今になって思うのです。あの即答は、偶然ではなかったのではないか、と。

第1回に書いたとおり、私は数ヶ月に1回、母を家に呼んでいました。そして母には、直接こう言っていました。

「嫁に嫌われたら、会えなくなるよ」

母は素直に聞いてくれました。妻も、よくしてくれました。

つまり母と妻は、引き取る前の数年間で、すでにお互いを知っていたのです。知らない人が急に同居するのではなかった。

あの数年は、あの一言のための準備だったのだと思います。

そのつもりでやっていたわけではありません。後から意味がついてきただけです。でも、順番としては、そうなっていました。

親を引き取るかどうかは、配偶者の一言で決まります。そしてその一言は、相談したその日に決まるのではありません。それまでの数年で、もう決まっているのだと思います。

最低限のこと ── 不動産

第2回に書いたとおり、母が「土地を半分売りたい」と言い出した時、売れませんでした。名義が父のままだったからです。

私が相続の名義変更を放置していた結果でした。

結果的には助かりました。でも、はっきり書いておきます。

今、同じことをすると違法です。

2024年4月から、相続登記が義務化されました。不動産を取得したことを知った日から3年以内に申請しなければならず、正当な理由なく怠ると、10万円以下の過料の対象になります。

しかも、これは過去の相続にも遡って適用されます。2024年4月より前に亡くなった方の未登記の不動産も対象で、その期限は2027年3月31日です。

「名義がおじいちゃんのまま」という家、けっこうあると思います。うちもそうでした。

ですから、放置は対策になりません。

では、何ができるか。私が一番おすすめしたいのは、これです。

親の不動産の登記事項証明書を、一度取ってみる。
(または、「相続人申告登記」という制度が利用する)

登記事項証明書は、法務局で誰でも取れます。手数料も数百円程度です。親の同意も要りません。

それを見れば、名義が誰なのか、抵当権がついていないか、いつ何が起きたのかが分かります。

親に「お金いくらあるの」と聞けば、嫌われます。でも、登記を調べるのに、親と喧嘩をする必要はありません。

聞かなくても分かることは、聞かずに調べる。

距離を取りながら親を守るというのは、たぶんこういうことです。

なお繰り返しますが、私は司法書士でも税理士でもありません。実際の手続きは、専門家か法務局にご確認ください。

母の感情を、整理する

お金の話から、少し離れます。でも、私はここが一番大事だったと思っています。

亡くなってから、お葬式にたくさん人が来ても、本人には分かりません。

だから、生きているうちに会わせました。

母がまだ動けるうちに、昔の友達や知り合いに声をかけて、会ってもらいました。最後のお別れの、代わりになるように。

そして、兄弟のこじれです。

兄は遠くに住んでいました。ですから、飛行機で母を行かせました。

車椅子を用意して、薬をそろえて、滞在の期間はお医者さんに相談して決めました。小遣いも渡して、飛行機も手配しました。

姉のところへは、車で送り迎えをしました。

正直に書くと、この段取りは、けっこうな手間でした。80代後半で、体も弱ってきている母を、遠くまで送り出すのです。

でも、やってよかったと思っています。

こじれた関係が、それで全部きれいになったわけではありません。そんな簡単なものではない。

ただ、合わせておいた、という事実だけは残りました。

それは母のためでもあり、たぶん、私のためでもありました。

見送った私が、十字架を背負わないために

私は母を見送ったあと、十字架を背負っていません。(罪悪感が残っていません。)

これは、ありがたいことだと思っています。

ただ、誤解のないように書いておきます。

あの終わり方が良かった、という意味ではありません。

父の最期は、24時間電気のついた部屋のベッドの上でした。母も肺炎を繰り返し、骨折をして、半分寝たきりになりました。

あの終わり方は、正直、嫌でした。

でも、それは私の後悔ではないのです。制度と環境と人の体の話です。私には、どうにもできませんでした。

私が後悔していないのは、私にできることを、やり残さなかったからです。

会わせるべき人に、会わせた。

お金を整理して、自分の葬儀代は自分で払える状態にした。

最後に、立ち会えた。

十字架を背負うかどうかは、結果では決まりません。やり残しがあるかどうかで決まるのだと思います。

そして、やり残しを作らないためには、時間が要ります。窓が開いてから慌てても、間に合いません。

それでも、上手くいったと思っています

3回にわたって書いてきました。

第1回では、親とお金の話がこじれる理由を書きました。第2回では、母を守ったのは3つの偶然だったと書きました。そして今回は、偶然ではなかったことを書きました。

並べてみると、私がやったことは、たいしたことではありません。

距離を取った。

でも、縁は切らなかった。

妻と母を、先に仲良くさせておいた。

生きているうちに、会わせた。

それだけです。

でも、それだけで、85歳の窓が開いた時に、呼ばれる人でいられました。

親の老後は、FIREにとって思わぬ落とし穴に見えます。落とし穴を埋めることはできません。でも、落ちた時にどうするかは、少しだけ準備できます。

俺、よくやったよ。……いや、違うな。

窓を開けたて呼んでくれた母と、あの日、軽く「いいよ」と言ってくれた妻が、偉かった。

私はただ、橋を落とさなかっただけです。

(3回にわたってお読みいただき、ありがとうございました)

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