今日、病院で肺機能の検査を受けました。
結果は——77歳。
前回は80歳でした。
3歳、若返ったということになります。
それなのに、なぜか、ブルーな気持ちで病院を出ました。
こんにちは、西風スマイルです。
58歳、サラリーマン歴40年、FIRA60(60歳リタイア)を目指しています。
前回の記事「努力しても体は変わる——50代で言われた『肺機能は80歳』との現実」の、続報です。
(関連記事:努力しても体は変わる——50代で言われた「肺機能は80歳」との現実)
病院での会話
検査結果は、診察前にすぐ出ます。
「77歳」という数字を見た瞬間、私の頭に浮かんだのは——
「トレーニングを少し落としていたから、これくらいか」
正直、悪化したというより、こんなものだろうという感覚でした。
それから、医師に3つ質問しました。
「肺が硬くなっているんですよね。薬では、もうどうにもならないんですか?」
医師は、少し言いにくそうな顔をしました。
そして、こう答えました。
「発作が出ないことは、良いことです。それを受け入れましょう」
これが、答えの全てだった気がします。
言葉にしないけれど、肺は、もう元には戻らない。
そう言われたのと、同じことです。
「声枯れは、このままですか?」
「薬の影響です」
短い答えでした。
治らないとも、治るとも、言わない。
今の薬を続ける限り、これと付き合うしかないということです。
「もっと良くするためのトレーニングは、ありますか?」
「これをやれば良くなる、というトレーニングはありません」
「ただ、有酸素運動を続けているなら、続けてください」
つまり、走り続けることが、唯一できることでした。
「ワンチャンあるかも」と、淡い期待をしていた
実は、薄々わかっていました。
吸入薬は、処方通りにずっと続けています。
口呼吸を止めるために、寝るときは口にテープを貼って寝ています。
それなのに、無理だろうな——と、心のどこかで思っていました。
それでも、もしかしたら。
「ワンチャンあるかも」と、淡い期待をしていました。
良くなっていれば、儲け物。
そう思って、検査を受けました。
結果は、77歳。
3歳若返ったとも言える。
でも、「期待した自分」は、確実に裏切られました。
妻に話したら、揚げ足を取られた
家に帰って、妻に結果を伝えました。
返ってきた言葉は、こうでした。
「持病持ちだね」
そして、こう続けました。
「あなたがいつも言ってる『運動すれば治る』って、違うじゃない」
これは、過去に私が言っていた言葉でした。
高血圧や脂質異常について、「運動すれば改善できる」と話していたことがあります。
それは、自分の経験から言っていたことです。
実際、走り続けることで、いくつかの数値は改善してきました。
でも今回、肺機能の話で、その言葉を持ち出されました。
「運動すれば治るって、違うじゃない」
これは、確かに正論です。
喘息で硬くなった肺は、運動では治らない。
でも、77歳と言われて落ち込んでいる私には、刺さりました。
たぶん、心配からの言葉だと思います。
それでも、「揚げ足を取られた」と感じてしまいました。
それでも何か、自分の中で答えのない問いが残りました。
私は、克服したかったのか。
それとも、克服できないことを、認めたくなかったのか。
たぶん、後者です。
加齢を、受け入れたくない
検査結果が出てから、ふとした瞬間に、こう感じます。
「細胞が、潰れていく感覚」
医学的に正しい表現ではありません。
ただの妄想だとわかっています。
それでも、その感覚から逃れられない。
加齢を受け入れたくない。
喘息を克服できなかった自分を、受け入れたくない。
もっと、もっと——
どこかで、ずっとそう思っている自分がいます。
これは、走ることを通じて、ずっと持ち続けてきた感覚です。
80kgで靴下も履けなかった45歳の自分を変えてきた、原動力。
でも今日、その「もっと」が、届かない壁にぶつかった気がしました。
それでも、まだ走れる
サブ3:20という今期の目標は、たぶん難しいです。
理由は、肺機能のせいだけではありません。
これからの時間を、家族に使っていきたい——
そう思っているから、マラソンの練習量を、これ以上は増やせない。
サブ3:20を狙うなら、もっと走り込む必要があります。
週末を全部、トレーニングに使う覚悟も。
でも、それは家族との時間を削ることを意味します。
妻との午後のカフェ。平日二人で出かける時間。
これらを犠牲にしてまで、タイムを追い求めるか?
——今の私の答えは、ノーです。
これは、時間のトレードオフとして、自分で受け入れた選択です。
でも、サブ3:30なら、もう一度狙えると思っています。
家族との時間を保ちながら、続けられる範囲のトレーニング。
その中で、現実的な目標を立て直す。
そして、「80歳でフルマラソン完走」という人生の目標は、まだ生きています。
これがあるから、頑張れる。
これがあるから、明日も走れる。
この目標は、私自身への約束だから。
今日は、結論を出さない日にします。
良くなったのか、悪くなったのか。
77歳という数字は、明確には答えてくれません。
ただ、ブルーで、少し悔しくて、それでもまだ走り続ける。
それが、58歳の今日の現在地です。
明日の朝、また走りに出ます。
肺は77歳でも、心は、まだ動いています。


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