こんにちは、西風スマイルです。58歳、60歳での早期リタイア(FIRA60)を目指して、日々あれこれ試している、40年選手のサラリーマンです。
先日、人生で一度はと願っていた北海道への長旅から、帰ってきました。約2,800キロ、夢のような12日間でした。
ところが——大きな旅のあとには、決まって、あれがやってきます。長期休暇明けの、あの、ぽっかりとした憂鬱です。
非日常の高揚から、また、淡々とした日常へ。やり残した仕事。旅の余韻が冷めていくにつれて、なんとも言えない重さが、じわりと胸に戻ってきました。
こういうとき、私をいつも立て直してくれるものがあります。それが、ランニング(運動)です。
もし、万能薬があったなら
もし、気力を高めて、頭を冴えさせて、見た目までよくしてくれる。そんな万能薬があるとしたら、どうでしょう。
私なら、迷わず手に入れようとすると思います。値段がいくらでも、多少のリスクがあっても、たぶん飲む。それくらい効くなら、欲しい。
でも、そんな都合のいいものは、ありません。——本当に、ないのでしょうか。
いえ、私たちは、もう知っているはずです。それは、汗を流す運動です。
ランニングでも、筋トレでも、水泳でも、形はなんでもかまいません。汗をかいて、血をめぐらせること。それだけで、重たく沈んでいた体が目を覚まし、心にこびりついた重さが、少しずつ洗い流されていきます。
疲れた、その先に訪れる爽快感。やり切ったあとの、静かな達成感。力を使うことで、かえって力が湧いてくる。
運動は、最大にして最高の万能薬だ。——私は、ずっとそう信じてきました。旅のあとの憂鬱も、走ってしまえば、たいてい晴れる。今回もそうやって、いつものリズムに戻ろうとしていました。
ところが、その信念が揺らいだ
先日、施設にいる義理の母を、久しぶりに見舞いました。
認知症が進んで、ときに言葉がきつくなることもあります。でも、それは病気がそうさせているのであって、義母自身のせいではありません。前に会ったときより、筋力もはっきりと落ちていました。施設や入院では、どうしても歩く力が衰えていきます。本人のせいではなく、環境が、そうさせてしまうのです。
狭い部屋でした。その狭さを前にして、ふと、自分の行く末を見ているような気がしました。
2,800キロを走り、海を眺め、好き勝手に動き回ってきた私の世界も、いつか、この広さに畳まれていくのかもしれない。そう思うと、「老いる」ということの手触りを、初めて少しだけ、掴んだ気がしました。
そして、もう一つ。私の頭をよぎったのは、父のことでした。
父は70歳ごろにパーキンソン病を発症して、81歳で亡くなりました。その体質を、私も受け継いでいるかもしれません。
私には、80歳でフルマラソンを完走するという目標があります。もとをたどれば、「五つの富」のうちの“健康の富”からきた目標です。80歳になっても、パーティーで踊れるか。(設問から)——そう自分に問うところから、始まりました。
でも、父の病を思い出した瞬間、その目標が、急にうすっぺらく見えてしまったのです。こんな体質を抱えた人間が、八十歳でマラソンなんて、やっぱり無理なんじゃないか。万能薬を信じてきた私の足元が、そこで、ぐらりと崩れました。
運動は、病気を防げるのか
揺らいだまま、少しだけ調べてみました。怖いからこそ、逃げずに、事実を見ておきたかったのです。
分かったことは、思っていたよりも、ずっと穏やかな話でした。
まず、パーキンソン病の多くは、単純に親から子へ受け継がれる病気ではないそうです。家族に発症した人がいると、子のリスクは高くなるとされますが、もともと発症率の低い病気なので、絶対的な確率としては、まだ低い水準にとどまります。父が発症したことと、私が発症することは、決してイコールではない。遺伝は、運命ではありませんでした。
そして、もう一つ。適度な運動は、パーキンソン病の発症リスクを下げると知られています。有酸素運動も、筋トレも、効果があるとされる。さらに、もし発症したとしても、運動を続けることが、進行を遅らせる助けになるという研究もあるそうです。激しい運動でなくても、日々の家事や仕事の動きでさえ、一定の効果があるといいます。
ただし——ここがいちばん大事なところですが——運動はリスクを下げても、病気を完全に防ぐことは、できません。
万能薬は、魔法ではなかった
そこまで考えて、ようやく、自分の思い違いに気づきました。
私はずっと、運動を「すべてを防いでくれる魔法」だと、思いたかったのです。だから、防げない病気を前にして、信念が崩れてしまった。でも、運動はもともと、魔法ではありませんでした。
運動は、確率を動かすものです。病気になる確率を少し下げて、もしなってしまっても、進みを少し遅らせる。80歳で走れる保証なんて、誰も持っていません。運動を続けたところで、保証は手に入らない。それでも、走れる確率の高いほうへ、自分を少しずつ運んでいくことは、できます。
分岐点の、ただ中にいる自分へ
見舞いの帰り道、私はずっと、父のことを考えていました。
父も、退職したあとに運動をする習慣があれば、もっと違う未来があったのではないか。ふと、そんな思いが浮かびました。もし、あのとき体を動かしていれば——と。
でも、すぐに思い直しました。それは、分かれ道を通り過ぎたあとになって、「あれをしておけば」「これをしておけば」と言っているだけだ、と。過ぎてしまったことに、あれこれ言っても、仕方がありません。ましてや、父を責めるような話では、まったくない。
そこで、ひとつ、気づいたことがあります。
分岐点を通り過ぎた自分と、分岐点の真っ只中にいる自分とでは、見えるものが、まるで違う、ということです。
過ぎたあとなら、いくらでも言えます。「あのとき動いていれば」「あの選択をしなければ」と。でも、その後悔は、いつも後出しです。分岐点の真っ只中にいるとき、どれが運命の分かれ道なのかなんて、誰にも分かりません。だから、過去に向かって「ずれ」を数えはじめると、人は際限なく、自分を責められてしまう。
私が本当に向き合うべきなのは、過去ではないのだと思います。いま、この瞬間に、分岐点の真っ只中にいる自分の方です。
58歳の私には、まだ、選択肢が見えています。運動も、食事も、人とのつながりも、突き詰めれば、いつか分岐点に立ったときの「持ち球」を増やしておく作業なのだと思います。狭い部屋に、自分の世界を畳まれてしまわないための、持ち球を。
それでも、靴紐を結ぶ
運動は、最大にして最高の万能薬だ。——ただし、すべてを防ぐ魔法ではない。確率を、ほんの少し、良いほうへずらしてくれる薬。
それで、十分だと思います。むしろ、魔法ではないと知ってから飲むほうが、私はずっと長く、飲み続けられる気がしています。
旅のあとの憂鬱も、老いへの不安も、たぶん、走りながら少しずつ、ほどいていくのでしょう。
今日も、ランニングのために靴紐を結びます。


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