こんにちは、西風スマイルです。
北海道からの帰りも、行きと同じ、21時間のフェリーでした。
不思議なもので、同じ21時間なのに、行きと帰りでは、まるで違う時間に感じます。行きの船では「ずいぶん長いな」と思っていたのに、帰りの船では、12日間があっという間に終わってしまったことを、しみじみ噛みしめている。
港に着けば、また、仕事と日常の日々に戻ります。その静かな船の上で、ふと、ひとつの問いが浮かびました。
——結局、自分は、何が楽しいんだろう。
当たり前だと思って、やってきた
満員電車も、朝の出社も、結婚することも。私はこれまで、ほとんどのことを「当たり前」だと思って、やってきました。疑う余裕もなく、ただ、目の前のことをこなしてきた。
でも、定年が近づいてくると、その「当たり前」を、初めて立ち止まって考えるようになります。
考えさせられるのは、やっぱり、時間の使い方です。
母の、最後の言葉
母は、91歳でこの世を去りました。ベッドの上で、私の手を握って「もう終わりか?」と尋ねて、逝きました。
90年以上を生きて、なお「もう終わりか」と言える。それはきっと、母の人生が、それだけ充実していたということなのでしょう。長く生きることは、それだけで素晴らしいことだと、私はずっと思ってきました。
でも、今の私には、その言葉が、少しだけ辛い。
楽しかった時間が、そこで終わる。いつか私も、ベッドの上で、同じことを思うのでしょうか。
時間は、永遠ではありません。それなのに私たちは、当たり前のように、時間を浪費して過ごしている。
——もっとも、結局は浪費するしかないのかもしれませんが。
時間は、無料だけど有限
船の中で、一人、お茶を飲みながら考えていました。船内でもらった、無料のお茶。
でも、考えてみれば、これも無料じゃない。ちゃんと、フェリー代に含まれている。世の中に、本当の意味でタダのものなんて、ないのかもしれません。
だとすると——私の時間だけは、有限だけど、無料だ。生まれた時から、誰にも料金を請求されることなく、ただ与えられている。
その「有限で、無料の時間」を使って、私は今回、遊びました。働いてお金を稼ぎ、貯めたそのお金を、自分から減らして、北海道を旅した。
お金は、道具です。では、時間とは何だろう。たぶん、消費期限の決まった資産。減っていくし、貯められない。しかも、一度使ったら、戻ってこない。
健康に気をつければ、少しは延ばせるかもしれません。でも、20代の時間には、もう戻れない。時間にも、色がついているのだと思います。
58歳の「初見」は、一度きり
今回が、初めての北海道でした。こういう話をすると、「もっと早く行けばよかったのに」と言われます。でも、私自身は、そう思っていません。
確かに、20代で行っていたら、もっと違ったでしょう。体力もあったし、感じ方も違ったはずです。あの頃は、GoogleマップもYouTubeもなく、今のように情報が氾濫してもいませんでした。なにを見るにも、「初めて」の度合いが、もっと濃かったのかもしれません。
でも、それは「20代の初見」であって、「58歳の初見」ではない。
58歳で初めて見る北海道も、一度きりです。この感動も、この感想も、もう二度と、同じようには味わえない。次に行けば、また違う景色に、違う感動を覚えるのでしょう。
一期一会というのは、たぶん、そういうことなのだと思います。遅すぎる経験なんて、本当はないのかもしれません。
数字を減らして、買った時間
正直に言うと、私はお金を稼ぐのが好きです。資産の数字が増えていくのは、ゲームのようで、楽しい。「数字が増えても意味がない」と言う人もいますが、私は、その数字が増えること自体を、素直に喜んできました。
今回の旅では、その数字を、自分から減らしました。予算は立てていましたが、結局、それ以上に使いました。ウニ、いくら、鮭、ジンギスカン、うなぎ、そば、肉、それに酒。食べたいものを食べ、飲みたいものを飲みました。
船の上で、自分に問いかけてみます。
お金の使い方は、どうだった。——使いすぎた。
なぜ。——妻が喜ぶから。
妻は、なぜ喜んだのか。——きっと、非日常を楽しんでいたから。
使いすぎたと思います。でも、後悔はしていません。減らした数字の代わりに、私はたぶん、「時間」を買ったのだと思います。
結局、楽しかったのは「時間」
では、今回いちばん楽しかったのは、何だったのか。船の上で、しつこく自分に聞いてみました。
カヌーか。シャチか。雪の残る知床峠か。——どれも、素晴らしかった。でも、突き詰めていくと、どうも、少し違う。
いちばん楽しかったのは、たぶん、綺麗なホテルのロビーで、綺麗な景色を眺めながら、ビールを飲んだ、あの時間です。
「そんなもの、どこでもできるじゃないか」と、自分でも思います。でも、違うんですね。あの空間で、あの景色を見ながら過ごした、あの時間だけは、そこでしか味わえなかった。
私が本当に欲しかったのは、たぶん「楽しめる時間」そのものでした。これが、今回の旅の、私なりの結論かもしれません。
何をするか、ではなく、誰と、どんな時間を過ごすか。妻と二人、よく「何をするかではなく、誰とするかだ」と話しますが、その答えにも、きっと無限の色があるのでしょう。
意味を与えれば、有意義になる——本当か?
時間に意味を与えれば、その時間は有意義になる。よく、そう言われます。
でも、本当にそうなのか、私にはまだ確信がありません。意味なんて、後から理屈をつけているだけかもしれない。有意義の定義は、人それぞれ違うし、人と比べても、仕方がない。
それでも——有限で、無料の時間を使って、私は北海道で遊び、今こうして、一人で船の上で、その時間を思い出しながら、また楽しんでいる。経験にお金を使って、その経験を肴に、また一杯やる。案外、人生というのは、その繰り返しなのかもしれません。
港に着けば、また、仕事の日々が始まります。残された時間が、有限であることを、ほんの少しだけ意識しながら。
最後に、同年代のあなたへ
ここまで読んでくださった、同年代の方。今回の旅は、どう映ったでしょうか。
少し、無駄遣いに見えたかもしれません。無理に長い休暇を取って、老後の資金を前倒しで使っているように見えた方も、いるかもしれませんね。
でも——人生には、思いつきで動くことも、時には大切なのだと思います。私はいま、キャリアの終点を前にして、自分の人生を、あらためて見つめ直しているのかもしれません。
そして、こうして見つめ直すことができたのも、振り返れば、ずっと「数字」で考えてきたからでした。キャリアプラン、ライフプラン、家計の収支。どれも地味で面倒な作業ですが、若いころから少しずつチャレンジしてきたことが、今になって効いている気がします。お金の不安を一つずつ減らしてきたからこそ、思いきって、時間を使うことができた。
私のこのジャーナルが、あなたの何かの気づきになれば、これほど嬉しいことはありません。


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