ソファーが怖い——デフォルト・モード・ネットワーク

退職ー心、思想

こんにちは、西風スマイルです。

FIRA60(60歳での、ちょっと早めのリタイア)まで、残り約610日。59歳の会社員です。

お金・時間・健康・好奇心・社会資本という「五つの富」を見つめ直しながら、50代最後の1年間を噛みしめています。

今日は、恐れているものの話を書きます。

暴落でも、病気でもありません。

ソファーです。

「ちょっとだけ」

何時からトレーニング、何時からブログ。そう決めた日の、空いた隙間時間。10分とか、30分とか。

そこで私が、ソファーに座ってしまうことがあります。

その時、心の中でこう言っています。

「ちょっとだけ」

そしてスマホを手に取り、動画をスクロールし始める。

あとはご存じの通りです。恐怖のドーパミン状態、とでも言えばいいのでしょうか。

予定していたトレーニングもできず、ズルズルと時間が溶けていく。

スマホを置いたあとに残るのは、罪悪感です。

30分すら前向きに使えなかった、ダメな自分。それを責めている自分がいます。

だから私は、ソファーに座ること自体に、恐怖があります。

映画を観るならいい。映画館に行くなら、なおいい。でも、あのソファーは最悪です。

なぜ、立ち上がれないのか

では、なぜ立ち上がれないのか。

ソファーに沈んでいる時、頭の中で何が起きているのか、しばらく考えてみました。

やらない理由が、次々に浮かんでくるのです。

トレーニングのしんどさばかりを思い出す。あの坂、あの息の上がり方、あの脚の重さ。そして、走ってみて思うように走れない自分を見るのが、なんとなく怖い。

つまり、まだ何も起きていないのに、しんどい未来だけが先に見えている。

実際に走り出せば、そんなことはないのです。走ってしまえば、あの恐怖はどこかに消えます。

つまりあれは、起きていないことを、脳が勝手に先取りしているだけでした。

脳が暇になると、勝手に動き出す(デフォルト・モード・ネットワーク)

気になって、少し調べてみました。

すると、こういうことらしいのです。

人の脳には、目の前の作業に集中していない時にだけ働き出す回路があるそうです。
デフォルト・モード・ネットワークと呼ばれています。

車で言えば、停車中のアイドリングです。何もしていないのに、エンジンは回っている。

そして、そのアイドリング中に脳がやっているのが、過去の記憶の整理と、未来の危険の予測なのだそうです。

……危険の予測。

つまり私がソファーで、走れない自分やしんどい坂を先に見ていたのは、脳が真面目に仕事をしていた結果だった、ということになります。

親切なんだか、余計なお世話なんだか。

ちなみに、この回路は、目の前の何かに集中し始めると静かになるそうです。

走り出すと、あの恐怖が消える理由。たぶん、それです。

段が、大きく見える

同じことが、もっとはっきり出る場面があります。

予約を入れる前です。

以前、バケットリストの記事で書きました。私は意思では動かない。予約さえ入れば動き出す人間だ、と。

問題は、その予約を入れるまでです。

スイッチがそこにあるのに、押せない。足が止まり、手が止まり、思考が前に出ない。頭の中だけが、ぐるぐる回っている。

あの感覚を、私はこう捉えています。

階段の一段目を、上れないでいる状態です。

最初の段は、小さいと分かっています。ほんの少し足を上げれば、上れる高さです。

ところが、その奥を見てしまう。

すると、その先の段が、大きな壁のように見えてくるのです。

しかも、こう思ってしまう。一段上がったら、そのあとも上がり続けなくてはならないんじゃないか、と。

それは確かに、しんどい。

「少しだけ登ろう」

では、どうやって立ち上がるのか。

ソファーから立ち上がれる時、私の脳には、あるイメージが浮かんでいます。

少しだけ、登ろう。

ほんの小さな段です。足を少し上げるだけで、登れる高さ。というより、上ろうと考えるだけで、もう上がれてしまうような段。

ただのイメージです。理屈でも、根性でもありません。

でも、これが効くのです。

面白いと思うのは、「ちょっとだけ」と「少しだけ登ろう」の違いです。

どちらも、同じくらい軽い言葉です。大したことは言っていない。

それなのに、「ちょっとだけ」はソファーに沈み、「少しだけ登ろう」は立ち上がる。

言葉ひとつで、行き先が正反対になる。

動き出すと、同じ脳が逆に働く

不思議なことに、動き出してしまえば、脳の中はまるで変わります。

走っている最中、私の頭は空っぽにはなりません。むしろ、忙しく働いています。

やっているのは、答え合わせです。

その日の出来事を思い返して、記憶を整理していく。良かったことを拾い集めていく。

そこから新しい発想が出てきた時には、脳汁が出るほど嬉しい。
最近だと、ブログの収益化の方法とか、インスタとの繋げ方とか、そんなことを走りながら考えています。

何か作業をしている時も、同じです。
ブログを書く、
DIYをする、
家事をする。どれも、心が前向きになります。

逆に、暇な時にする想像や思考には、ろくなものがありません。

行動には、人を前向きにさせる何かがあるのだと思います。
心が前を向き、言葉も前向きになって、幸運まで運んでくるような。

……だから、男性は仕事に逃げ込むのかもしれませんね。
動いている限り、余計なことを考えずに済みますから。

場所によって、思考の質が変わる

もうひとつ、気づいたことがあります。

同じ「何もしていない時間」でも、場所によって、頭の中がまったく違うのです。

カフェでぼんやりしている時は、いい。あれは悪くない時間です。

でも、自分の部屋はだめです。

そしてソファーは、先ほど書いた通り、最悪です。

同じ人間が、同じように何もしていないのに、なぜこうも違うのか。

はっきりした答えはありません。ただ、私の場合、対策は単純です。

用事を作る。予定を入れる。予約を取る。

考えてみれば、管理職時代もそうでした。あの頃、私は休みの日に、無理やり外に出かける用事を作っていました。行きたいから出かけるのではなく、出かけないとまずい気がして出かけていた。

順番は逆ですが、あの習慣に、たぶん私は救われています。

レースの終盤で、私が叫ぶ言葉

ここから、言葉の話をします。

マラソンのレースで、本当に辛くなった時。私が叫ぶ言葉が、決まっています。

「楽しい」

苦しいのに、楽しいと言う。半分は自分を騙しています。

でも、これが効くのです。言霊、というやつかもしれません。

予約を入れる時にも、決まった言葉があります。

「出来る、出来る、やれ」

あの一段の手前で、自分に言い聞かせる言葉です。

それから、職場でもひとつ。若い子や部下には、何でも褒めるようにしています。特によく使うのが、この言葉です。

「素晴らしい」

管理職の頃から、これは変わりません。

やめたい言葉が、ひとつあります

逆に、口から出た瞬間に「今のは良くなかったな」と思う言葉もあります。

「何か、楽しいこと無いかな?」

これ、よく出るのです。でも、やめたい。

理由は二つあります。

ひとつは、受動的だからです。誰かが楽しいことを持ってきてくれるのを、待っている言葉です。

もうひとつは、もっと単純です。

今が楽しいのに、楽しいことを探しているのは、おかしいじゃないですか。

探すなら、自分から探しに行く。そういう言い方に変えたいと思っています。

繰り返し口にした言葉が、そのまま自分の思考の形になっていく。そんな気がしています。科学的な話ではありません。ただの信条です。

でも、「ちょっとだけ」と「少しだけ登ろう」の差を知っていると、あながち迷信でもない気がするのです。

会社は、巨大な集中装置だった

ここまで書いてきて、ひとつ、気づいたことがあります。

これは全部、退職後の予告編なのではないか、と。

考えてみてください。現役の今、私の一日は、仕事で埋まっています。夜勤も、日勤も、出勤したら、目の前のことに集中するしかない。

つまり会社というのは、強制的に人を集中させる、巨大な装置だったわけです。

アイドリングする暇が、そもそも無かった。

ところが610日後、その装置が、まるごと無くなります。

仕事が占めていた時間は、以前の記事で書いた通り、私の一日のだいたい70%です。その70%が、そっくり空白になる。

空白は、アイドリングの時間です。

退職した男性が、なんとなく元気を無くしていく——そんな話を、よく聞きます。

お金の問題でも、健康の問題でもないのに、です。

あれは、案外これなのかもしれません。

急に暇になった脳が、真面目に「危険の予測」を始めてしまう。しかも、予測する材料は、過去の失敗と、これからの不安しかない。

あなたにも、こんなことはありませんか

ここで、少しだけ、あなたにも聞いてみたいことがあります。

目覚ましをかけずに眠れた朝。早くに目が覚めて、布団の中で天井を見ている時間。あの時、頭に最初に浮かぶのは、どんなことでしょうか。

予定の無い休日の午後。特にやることもなく、ソファーに座った時。スマホを持つまでに、何秒かかりますか。

散歩をしていて、気がついたら景色ではなく、昔の仕事のことを考えていた——そんな経験は、ありませんか。

どれも、私には身に覚えがあります。しかも私は、まだ働いている身です。

すでに退職された方なら、もっと切実かもしれません。

私が用意している、3つの手

では、610日後に向けて、私は何を用意しているのか。

大したことではありません。この記事で書いてきたことの、まとめです。

1つ目は、予約です。

意思では動かないと分かっているので、先に予定を入れてしまう。旅行の予約、大会のエントリー、人と会う約束。考える前に着替えてトレーニングと決めておくのも同じことです。予定が入っていれば、脳はアイドリングを始められません。

2つ目は、場所です。

カフェのぼんやりは良くて、自分の部屋のソファーは最悪。それが分かっているなら、答えは簡単です。ぼんやりするなら、外でやる。退職したら、少し高いお店にコーヒーを飲みに行きたい——そう書いたのも、たぶん本能的に、これを分かっていたからだと思います。

3つ目は、言葉です。

「ちょっとだけ」ではなく、「少しだけ登ろう」。「何か楽しいこと無いかな」ではなく、自分から探しに行く言い方。しんどい時には「楽しい」と叫ぶ。

3つとも、脳を説得する方法ではありません。

考え方を変えようとすると、たぶん失敗します。頭の中の勝負に、頭の中で勝とうとしても仕方がない。

だから、外から挟む。予定で挟み、場所で挟み、言葉で挟む。

少なくとも私の場合は、これしかなさそうです。

初めて5km走れた日のこと

昔、私は5kmも走れませんでした。

走り始めたきっかけは、ダイエットです。健康のためとか、そんな立派な理由ではありません。

その頃のことで、よく覚えていることがあります。

変わっていく自分が、目に見えたのです。

達成感、とも少し違います。あれは何だったのか、うまく言えないのですが
——たぶん、自己肯定感というものだったと思います。

自分で自分の機嫌を取って、前に進む。

それしか、人生を好転させる方法はないのかもしれません。

あれから、10km、20km、フルマラソン。100kmも走りましたし、60kmのトレイルも走りました。

結婚もしました。転職もしました。子どもを育てて、家を建てて、お金を貯めて、投資もして、今はブログで自分と向き合っています。

どれも、踏み出した結果です。

そして、そのどれもが、踏み出す前には、あの「大きな段」に見えていたはずなのです。

おわりに

5kmを初めて走れた頃の私と、ソファーから立ち上がれない今の私は、同じ人間なのか。

もちろん、同じです。どちらも私です。

できない自分も含めて、全部が自分だと思っています。

だから、まずそれを認めて、受け入れる。

そのうえで、一段だけ登る。

その時に、誰とも比べない。

そして、一段登れたことを喜んで、楽しむ。

それを続けている自分を、知っておく。

たぶんこれが、満足度を上げる方法なのだと思います。

……と、偉そうに書きましたが。

今日もソファーの前を通るとき、「ちょっとだけ」と言いそうになりました。

あの言葉、そろそろ本気で禁止にしようと思います。

それでは、また。

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