こんにちは、西風スマイルです。
58歳、FIRA60——60歳での早期リタイアを目指して、残り約670日を準備に充てている、ごく普通のサラリーマンです。
このブログでは、いつも記事の入り口で「五つの富」という事を書いてます。お金・時間・健康・好奇心・社会資本(つながり)。この五つをバランスよく持つことが、人生の後半戦を豊かにすると、そう書いてきました。
でも今日はその「五つの富」を、教科書としてではなく、私自身がどうやってこの考えにたどり着いたのか、というところから書いてみたいと思います。
きっかけは、父だった
父は、69歳まで働きました。
退職して数年が経った72〜3歳のころ、手が震えはじめ、パーキンソン病と診断されました。そして80歳(数えで81歳)で、生涯を終えました。
ずっと、お金とキャリアという一本の直線を、ただ前へ前へと走ってきた私が、初めて「健康」という富の存在に気づいたのは、このときだったように思います。どれだけ働いても、どれだけ蓄えても、体が動かなくなれば、その先にあるはずだった時間は、静かに閉じていく。
私が「80歳でフルマラソンを走る」という目標を掲げているのは、その延長線上にあります。これは正直、目標というより、自分に課した「業(ごう)」のようなものです。父が人生を終えた80歳。その同じ年齢で、私はまだ自分の足で走っていたい。叶うかどうかは分かりません。でも、そこを目指して生きること自体が、私にとっての健康という富への投資なのだと思っています。
健康記事「運動は万能薬。でも、魔法ではなかった——58歳の気づき」
(父の病と、この80歳マラソンについては、別の記事でもう少し深く書いています)
「五つの富」とは何か
少しだけ、五つの富そのものの話をさせてください。
お金は、贅沢のためではなく、「時間と選択の自由」を買うための土台です。私はいま、派手な贅沢こそしませんが、生活コストを見直し、取り崩しのシミュレーションを何度も組んで、「これくらいなら大丈夫」という手応えを、少しずつ育てているところです。
(関連記事)自信作のキャッシュフロー表をAIに辛口添削させたら、58点だった
(このシミュレーションの中身は、お金の記事に書いています)
時間は、人生でいちばん価値があって、二度と引き出せない資産です。会社のスケジュールに合わせて生きてきた40年から、少しずつ「自分の時間主権」を取り戻している最中です。
健康は、すべての活動の「掛け算の元本」。これがゼロになれば、ほかの富がいくらあっても、掛け算の答えはゼロになってしまう。父のことがあって以来、私にとってここは、譲れない一本になりました。
好奇心は、心を若く保つエンジン。いまこうして書いているこのブログ自体が、その投資の産物です。
そして社会資本——つながり。実はここが、いちばん私が苦労してきたところでした。
私には、つながりがなかった
正直に告白します。経済的に少し自由になってみて、私ははたと気づいたのです。
一緒に遊ぶ友達がいない
連絡を取り合っている友人は、いるんです。たまにメールもするし、近況も伝え合う。でも、いざ「今度どこか行こう?」と誘ってみると、ほとんど来ない。みんな仕事や家庭があって、それぞれの人生で忙しい。当たり前のことなのですが、自分に時間とお金の余裕ができたそのときに、隣に一緒に遊べる人がいないという事実は、想像以上にこたえました。
お金の自由を手に入れることばかり考えていて、それを一緒に使う相手のことを、私はすっかり忘れていたのです。
そこから私は、少しずつ、いろんな人に声をかけることを学びました。大げさなことではありません。
朝の挨拶。すれ違いざまの一言。「今日は冷えますね」くらいの雑談。それが、その人を知るきっかけになる。話題が生まれる。やり取りが続く。そして不思議なことに、その何気ないやり取りが、次の好奇心を呼び寄せてくれるのです。
「五つの富は循環する」とよく書きますが、これは机上の理屈ではありません。お金の不安を減らしたことで時間が生まれ、その時間を健康と好奇心に使い、好奇心の先で人と出会い、その出会いがまた、新しい好奇心を連れてくる。私自身が、その輪を一周してみて、ようやく腑に落ちました。
いまもこうしてやり取りをさせてもらっている元同僚(前回のブログ)とのご縁も、もしかしたら、あの小さな一言から始まった循環の一つなのかもしれません。
(退職金記事)退職金を「守る人」と「攻める人」——現金を厚くしたい私と、リラに賭けた元同僚
私がハマってきた、二つの罠
——と、ここまで読むと、私がさも五つの富をきれいに回せている人間のように見えるかもしれません。
でも、そんなことはありません。私はこの「五つの富」の罠に、何度も片足を突っ込んできました。むしろ、この罠を知っているのは、そこにハマったから
一つめ。健康という富を、いつのまにか「記録」というタスクに変えてしまったこと。
マラソンを始めたころ、私はタイムを追いかけることに夢中になりました。先週より速く、去年より長く。数字が伸びるのは気持ちがいい。けれど気づけば、週末はトレーニング、平日も走ることで頭がいっぱいで、隣にいるはずの妻を、すっかり置き去りにしていました。健康のための投資が、いちばん大切な人との時間を削っていた。本末転倒です。
二つめ。お金という富を、「不安」で握りしめてしまったこと。
毎朝、起きるとまず株価を確認する。外貨預金に手を出して、為替が動くたびに一喜一憂する。守っているつもりだったのですが、振り返れば、いちばん削っていたのは自分の「心の平穏」でした。お金は、本来こちらの心を軽くするための道具のはずなのに、いつのまにか、私の心のほうが、お金に振り回されていたのです。
(お金に振り回される話は、こちらに→50歳から必ず投資すべき「本当の資産」とは)
五つの富というのは、「どれか一つを最大化する」ゲームではないのだと、色々な気づきと後悔が、ようやく分かってきました。
最後に残るのは「思い出の配当」
では、この五つの富を、最後にどう使い切るのか。
ビル・パーキンスの『DIE WITH ZERO(ゼロで死ね)』という本に、「思い出の配当」という考え方が出てきます。若くて動けるうちに投資して得た鮮烈な経験は、年を取って体が動かなくなってからも、何度も脳内で再生され、人生の最後の瞬間まで、幸福の「配当」を出し続ける——そういう考え方です。
私はこれを読んで、母のことを思い出しました。
母が最後に遺してくれた言葉は、お金でも、肩書でもありませんでした。それはいまも折に触れて私の中で再生され、その都度、静かに背中を押してくれます。まさに、消えることのない「配当」として。
人は最後、本当に大切な数人へと、関係も記憶も静かに収斂していくのだと思います。たくさんのつながりも、最後はそうやって、いちばん近い人へと畳まれていく。
では、私にとっての「思い出の配当」は何だろう、と考えてみました。
妻と行った北海道——2,800キロを走ったあの旅も、間違いなくその一つです。けれど、いざ目をつぶって浮かんでくるのは、意外にも、もっと地味な光景でした。
北海道の留萌で、妻とダブルベッドに横になって、ただ眠っただけの夜。
(ホテルの選択が少なく、禁煙ルームが無くダブルベットになった)
特別な会話があったわけでもない。絶景があったわけでもない。ただ、すぐ隣に妻の寝息があって、それだけで、世界はちゃんと回っているような気がした、あの夜の温度。
たぶん私は、いつか年老いて、ベッドの上で過ごす時間が増えたとき、絶景でも記録でもなく、こういう何でもない夜のことを、何度も思い出すのだと思います。
関連記事「母が最後に遺した言葉のことは、帰りの船の記事に書きました」
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関連記事「妻と走った2,800kmの旅は、こちらに」
31年越しの北海道、2,800km。——58歳、ロードスターで走った12日間
おわりに
五つの富のポートフォリオの本当の価値は、資産を増やすことではなくて、自分の人生を「不満のない状態」から「満足のいく状態」へと、静かに移していくことにあるのかもしれません。
父が気づかせてくれた、健康。苦労して編み直してきた、つながり。何度も罠にハマりながら、ようやく回りはじめた、五つの富。そのすべてを、これからは、自分と、自分の大切な人の笑顔のために、少しずつ使い切っていく。
——なんて、偉そうに書いてはみたものの。今日もまた、ついスマホで株価をちらっと見てしまった自分がいて、まだまだやなあ、と苦笑いしているのですが。
それくらいで、ちょうどいいのかもしれません。
私の原点 FIRA60へのキッカケの記事です
60歳退職に向けての時間への再投資
FIRA60を決断できた2つの資産


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