こんにちは、西風スマイルです。
FIRA60(60歳での、ちょっと早めのリタイア)まで、残り約580日。59歳の会社員です。
今日は、ちょっとした反省の話です。
会社で、言わなくてもいいことを言ってしまいました。
コーヒーを飲みながら、つい
私の会社には、社員同士のコミュニケーションのためにと、無料のコーヒーが置いてあります。
少しの休憩時間。お湯を沸かして、コーヒーを淹れて、立ち話をする。
その日は、再雇用で働いている先輩と、私と、別の係の51歳の同僚の三人でした。
先輩が、いろいろと話を振ってくれます。仕事の話、再雇用の話。そのうち体の話になって、この年代が集まると、どうしても最後はお金の話に行き着きます。
そこで私は、冗談まじりに言ってしまったのです。
「馬鹿野郎マネーを持たないと、しんどいよ」
馬鹿野郎マネーとは
念のため、説明しておきます。
馬鹿野郎マネーというのは、理不尽なことを言われた時に、「馬鹿野郎」と言って会社を辞められるだけのお金のことです。
実際に辞めるかどうかは、関係ありません。辞められる、という状態そのものが、心を軽くする。
以前、「使わないカードを一枚持つ」という話を書きましたが、あれと同じものです。
私にとっては、大事にしている考え方です。だから、つい口に出た。
▶ 「使わないカード」の話は、こちら → 「「辞めてやる」と思っても、辞めない。それでも世界は変わる——59歳の自己決定権」
同僚は、正直に話してくれた
同僚は、笑って流すかと思いました。
ところが、そこから話が少し深くなったのです。
住宅ローンが、65歳まで残っていること。子どもが大学受験で、教育費がいちばんかかる時期にいること。
正直に、話してくれました。
感心したのは、残債がいつまで残るのかを、年齢まで正確に把握していたことです。
この年代で、そこまで意識している人は、意外と少ないと思います。中には、ローンが重いから働けるだけ働こう、と考えるしかない人もいる。それに比べて、彼はちゃんと自分の家計を見ていました。
その場は、それで終わりました。
後悔は、あとから来た
しまった、と思ったのは、その場ではありません。
あとになって、彼の話を噛みしめていた時です。
ローンの残債と、子どもの教育費。
そういえば、私にも、それで苦しんだ時代がありました。
40代の半ば、住宅ローンと教育費が重なって、残業代がほとんど教育費に消えていった数年間です。
あの頃の私に、誰かが「馬鹿野郎マネーを持たないと、しんどいよ」と言ったら。
たぶん、こう思ったはずです。
そんなこと、分かってる。
冗談まじりでも、あんなことを言ってはいけなかったのかもしれない。そう思いました。
渦中にいると、見えない
今の私には、見えている景色があります。
ローンを返し終えて、教育費が終わって、そこから資産が一気に積み上がっていく景色です。
でも、渦中にいた頃の私には、それがまったく見えていませんでした。
FIRA60なんて、考えもしなかった。馬鹿野郎マネーという言葉も、知らなかった。
毎月をどう回すかで、精一杯だったのです。
渦中にいる人に、その先の景色の話をしても、「そんなの無理だ」と感じるのは当たり前のことです。
見えている人間が、見えていない人に「見ろ」と言っても、見えるわけがない。
……ちなみに、あの頃の私は、誰かにお金のことで何か言われた記憶はほとんど無いですが
一回だけ、それを通り過ぎた50代の頃に、4歳ほど下の同僚に、ローン返済と教育費のきついことを聞かれた覚えはあります。
みんなこの年代はこの時期が一番きついのでしょうね。
正論は、細い橋を渡れない
以前、親の老後問題の記事で、こう書きました。
正論は、細い信頼の橋を渡れない。
母に、老後のお金の話をしようとした時のことです。正しいことを言っても、届かなかった。届かないどころか、関係がこじれた。
そう書いた本人が、職場で、同じことをやっていたわけです。
では、どう言えばよかったのか。
考えてみて、最初に浮かんだのは、これでした。
「金利が上がってきたから、住宅ローンは早く返したほうがいいよ」
今は金利のある時代に戻りつつあります。これまでの家も、投資も、低金利を前提に考えられてきた。金利が上がれば、家計が回らなくなることもある。だから、ローンは足枷になりやすい。
……と書いて、気づきました。
これも、やっぱり正論です。
言い方を変えただけで、中身は同じ。相手の今を、外から評価している。
少し、偉そうですね。
▶ 金利と住宅ローンの話は、こちらに書きました → 「イールドギャップと住宅価格——金利分が4万円に増えていた」
▶ 「正論は、細い信頼の橋を渡れない」と書いた回は、こちら → 「親の老後問題① 親のお金の話は、なぜこじれるのか」
それも、選んできた結果ではある
ただ、一方で、こうも思うのです。
ローンを返し終えて、教育費を終えて、そこから初めて老後の資産は積み上がっていく。この記事を書いていて、あらためてそう感じました。
そして、そこに至るまでには、いくつかの選択がありました。
ローンの返済を前倒しすることを、考えたか。
家計の管理を、どこまでやったか。
お金と向き合って、時間が有限だということを、考えたか。
私が今の景色を見られているのは、たまたまの部分も大きい。
でも、選んできた結果でもある。
……こう書くと、また偉そうになるのですが。
だからこそ、難しいのです。
選んできた結果だと思っている人間が口を開くと、どうしても、相手の選択を評価する言葉になってしまう。
経験として渡したつもりでも、受け取る側には、正論に聞こえる。
おわりに
あれから、その同僚とお金の話はしていません。
関係が変わったわけでもありません。たぶん、向こうはもう覚えていないでしょう。
あの一言が、いつか、子どもの受験が終わった頃にでも、ふと思い出してもらえるなら、それでいい。
……というのは、たぶん、言った側の都合のいい期待です。
言わんほうがよかったんかなあ。
今でも、よく分かりません。
ちなみに、次に会ったら、体の話題のついでに、こう誘ってみようかと思っています。
「一緒に、マラソンやりませんか?」
……これも、引かれるでしょうね。
それでは、また。


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