私は「静かな退職」なのだろうか?——AIに「半分イエス」と言われた58歳

FIRA60ー退職

こんにちは、西風スマイルです。

FIRA60を目指す、58歳のビジネスパーソンです。定年退職まで、残り640日となりました。

先日、AIと、ブログのネタ会議をしていました。
(AIと会議って、もしかして変態でしょうか。そんなに変な目で見ないで、最近、多いらしいですよ、こういう人。)

その席でAIがこう言ったのです。

「西風さんは『静かな退職』を語れますよ」

おいおい。俺、そんなに仕事の熱ないか? 俺って、静かな退職なのかな〜?

気になって、そのまま問い詰めてみました。返ってきた答えが

「結論から言うと——半分イエスで、半分はっきりノーです」

おい、言い訳するなよ。イエスかノーか、はっきりしろ。

……と突っ込みつつも、心のどこかに、小さな疑問がよぎりました。
もしかして、本当にそうなんじゃないか? 気になり出すと止まらない性分です。
その晩から「静かな退職」を扱うブログや記事を、読み漁ることになりました。

読んで分かった——50代こそ「静かな退職」になりやすい

「静かな退職(Quiet Quitting)」。会社を辞めるわけではない。でも、心はもう半分、会社にいない。契約以上のことはしない。昇進も評価も追わない。最低限の仕事だけを、淡々とこなす——そういう働き方を指す言葉だそうです。

若い世代の話として語られることが多いのですが、読み進めるうちに、意外なことが分かりました。実は50代こそ、静かな退職になりやすい層だ、というのです。

理由として挙がっていたのは、こんなところです。役職定年やポストオフで、頑張っても報われる仕組みから外れる。昇進の天井が、はっきり見えてしまう。上司が年下になる。そして、「あと数年、逃げ切ればいい」という意識。

……ちょっと待ってください。管理職から現場に戻り、上司は2歳年下、定年まで残り640日をカウントダウン中。条件、全部揃っているじゃないですか、私。

でも俺は、違うよ。……違うと思いたい。

思いたいのですが、AIの「半分イエス」が引っかかります。仕方がない。今日は、自己分析してみます。

「静かな退職」チェックリストに、自分を当てはめてみる

まず、正直に、当てはまるところから数えます。

昇進や昇格を、望んでいない。——はい、

まったく望んでいません。期始の面接で「60歳の定年でスパッと辞めます」と、2歳年下の上司に宣言済みです。市場価値を上げる気もありません。

会社への心理的な距離を、取っている。——これも、はい。

かつての私は、出勤前日の16時に必ず帰宅して、自宅のPCでメールを処理していました。仕事とパソコンと携帯が、生活のどこにでもあった。

今は、その時間をブログ、ランニング、旅行、夫婦の時間に振り替えています。自分で「窓際FIRE」と冗談を言うくらいには、距離を取れています。

評価を、追いかけていない。——はい。

人事評価の結果に、一喜一憂しなくなりました。自己申告書も、本音と建前を使い分けて書く、戦術的なサラリーマンになりました。もっとも、評価そのものは追わなくなっても、心証まで捨てたわけではありません。残り2年の扱いが雑になっては、たまりませんから。そのくらいの計算は、まだ働いています。

▶ この自己申告書をどう書いたかは、こちらに → 「「隠居するんですか」と言われた7月——ナフサ不足と熱中症、そして自己申告書|キャリアジャーナル④」

ここまで並べると、ほぼ満額回答です。

なるほどAIの言う「半分イエス」は、この部分か。

静かな退職、認定。……のはずなのですが、どうにも、認めたくない。

認めたくない理由①——手は、抜いていない

静かな退職の核心は、突き詰めれば「手を抜くこと」です。
契約の最低限まで、仕事のボリュームを絞る。

でも、私の日々を振り返ると、どうもそうなっていない。
この夏も、灼熱の現場に立っています。

日頃のランニングで暑熱順化した体で、若い子と同じ作業をこなしています。
手を抜くどころか体を作ってまで、現場の仕事をやっている。

仕事は、目一杯やっているのです。それなのに、どこかで冷めている自分もいる。

全力で働いているのに、冷めている。
この妙な状態は、「やる気があるか、ないか」という一本の物差しでは、うまく測れません。

認めたくない理由②——マインドが、違う

読み漁ったブログの中に、実践例として「テレワークの時間に副業をする」というものが出てきて、ここで完全に手が止まりました。

これは、違う気がする。

そもそも私の職種に、テレワークはありません。
(世の中の企業も最近はテレワークを減らす方向に進んでいるようですが。)

ただ、仮にあったとしても、勤務時間中にブログを書いたり、株のデイトレードをしたり、という発想が、私にはないのです。

それは静かな退職というより、仕事そのものへの反逆——アンチワークに近いのではないか。省エネで働くことと、会社の時間を自分の懐に入れることは、別の話だと思うのです。

決定的な違いは、時間

では、私と「静かな退職」を分けているものは、何なのか。
考えて、行き着いたのは、時間軸です。

一般的な静かな退職には、終わりがありません。これは、会社で無駄に消耗しないための自己防衛です。
それ自体を否定する気はありませんが、いつまで続くのかは決まっていない。

意識は「今をやり過ごすこと」に向いていて、下手をすると、そのまま何年でも停滞します。
省エネのつもりが、キャリアの停滞を招き、経済的自由をむしろ遠ざけることだって、あり得ます。

私はカウントダウンしています。残り640日。
ゴールが見えているから、職場の不条理にも過度にイライラせず、淡々と対応できる。

仕事は給与分の責任をきっちり果たし、31年ぶんの荷物を次の人が受け取りやすい形に畳んでいく。
そして余力は、退職後の人生——ブログ、走ること、健康、夫婦の時間——に注ぐ。

同じ省エネに見えても、これは消化試合ではなく、離陸前の助走だと思っています。
意識が「現状からの逃避」に向いているのか、「未来の目標」に向いているのか。

ここが、決定的に違う。

副作用は、体に出た

この配分に変えて、ひとつ、思いがけない効果がありました。
今年の人間ドックで、数値が2年ぶりに改善したのです。

肺機能と、鉄分。あれだけ食事と運動に気をつけても動かなかった数値が、動いた。思い当たる変化は、時間の使い方だけです。

会社に明け渡していた時間を、走ることと、書くことと、妻との時間に振り替えた。同じ24時間でも、体まで変わるのかもしれません。

▶ このときの検査結果の話は、こちらに → 「【健康】人間ドックの結果が、2年ぶりに改善した話——数値との「程よい距離感」」

管理職時代、私は薬をもらっていました。

▶ その数年間のことは、こちらに書いています → 「管理職昇進──答えのなかった数年間の話」

FIRA60への助走の今、数値が改善している。この対比が、答えのようなものだと思っています。

おわりに——静かな退職ではなく、FIRA60への助走

私は「静かな退職」なのだろうか。冒頭の問いに、答えを出します。

出世という意味では、降りました。
野心の音量は、ほぼゼロまで絞りました。
ここまでが、AIの言う「半分イエス」。

でも、仕事の手は抜いていないし、私の時間は止まっていません。会社が私の人生で鳴らしていた音は、BGMくらいの音量に下げました。

主旋律は、もう自分の側にあります。

そして残り640日、離陸に向けた助走は続いている。

ここが「半分はっきりノー」。

悔しいですが、AIの分析は、なかなか的を射ていました。

ただし、最後の判定だけは、自分で下します。静かな退職ではなく、FIRA60への助走。私の挑戦は、まだ終わっていない。

もし同世代で、「自分は静かな退職なのかもしれない」と後ろめたく感じている方がいたら、一度、自分に聞いてみることをおすすめします。

その静けさに、出口はあるか。

カウントダウンは、進んでいるか。

答えが「はい」なら、それは退職でも逃げでもなく、次のステージへ向かうための、まっとうな助走です。

……と、格好をつけて締めましたが、白状すると、「働かないおじさんと一緒にされたくない」という、定年前オヤジの見栄も混じっています。

AIに図星を指された悔しさも、少々。

FIRA60の助走のつもりが、ただの言い訳にならないように。

明日も暑い現場が、俺を待っていぜ

それでは、また。

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