こんにちは、西風スマイルです。
今日は、お金の話のようで、気持ちの話を書きます。
私は、定年になったら、ロードスターを手放すつもりでした。
手放す理由は、ちゃんとあった
理由は、自分なりにはっきりしていました。
ひとつは、体のことです。
スポーツカーは、視界が狭い。
これから歳を重ねて目も悪くなっていくことを考えると、視界の悪い車に乗り続けるのは、どこかで線を引いたほうがいい。
スポーツカーは人生で最後にしよう——そう思っていました。
もうひとつは、お金です。
定年後の暮らしで、車を2台持ち続けるのは、かかるコストの割に満足度が低い。そう考えていました。
しかも、私のロードスターは、すでに9万kmを走っています。
このままあと2年乗れば、おそらく11万km。
古い車に、この先どれだけお金がかかるか、正直、不安があります。
現に、今回の旅でも、普通の乗用車ならまず傷まないようなところ——リアのハブベアリング——が傷みました。
スポーツカーは、思いがけないところにお金がかかる。
おまけにハイオク仕様なので、走れば走るほど、燃料代もかさみます。
そして何より——定年で収入がなくなることを考えると、将来の不安材料は、一つでも減らしておきたい。
私にとって車を手放すというのは、お金の計算であると同時に、「将来の不安を消す作業」でもありました。
そもそも私は、ものを整理するのが嫌いではありません。
50歳のときには、夫婦バラバラだった家計をひとつにまとめました。
55歳の頃には、リタイア後の暮らしを何度もシミュレーションしました。
要らないものを手放して、身軽になっていく——その作業には、ある種の快感さえあります。
ロードスターを手放すというのも、その延長線上にある、ごく自然な「整理」のはずでした。理屈としては、何も間違っていません。
ところが、2,800kmで惜しくなった
ところが、です。
今回の北海道、約2,800kmを、このロードスターで走りました。そして走り終えたとき、手放すのが惜しくなっている自分がいました。正直、想定外でした。
北海道の道は、思った以上に荒れています。足回りの硬いロードスターでは、路面の悪さがそのまま体にきました。途中、何度か「これがレクサスだったら、もっと楽なんだろうな」と思ったのも事実です。
でも、走りながら、はっきり分かったことがありました。こいつは、ただの車じゃない。相棒だ、と。
出発前、私はプラグとリアのハブベアリングを整備しました。9万kmを走ってきた車です。長距離の前に、ちゃんと手をかけてやりたかった。その手間も、振り返れば、相棒への定期点検みたいなものでした。
20代の頃から、私はオープンに憧れていました。屋根を開けて走る、あの開放感。
どうしても乗ってみたい、オープンカーが欲しい——その気持ちが、ずっと心の奥にありました。
それも、スポーツカーがよかった。今のND型ロードスターは、出た時から心を奪われて、気づけば一緒に9万km。こういう出会いも、悪くないものです。
20代の「欲しい」は、58歳でも変わらない
おかしなもので、20代のときに抱いた「オープンカーが欲しい」というあの気持ちは、58歳になった今も、まったく変わっていません。憧れのオープンスポーツを前にすると、いまだに胸が高鳴る。歳をとれば落ち着くものだと思っていましたが、好きなものは、いくつになっても、好きなままでした。
そしてこの旅で、しみじみ感じたことがあります。好きなものに囲まれて過ごす時間そのものが、幸せなのだ、と。好きな車に乗って、好きな景色の中を走る。その時間が、たまらなく豊かでした。これは、数字では測れない種類の満足感。
「コストの割に満足度が低い」は、本当か
ここで、立ち止まって考えました。
私はこのブログで、ずっと「貯めるから、使うへ」と書いてきました。お金をただ守るのではなく、意味のあることに使う。58歳の今は、その「練習」をしている最中だと。
だとしたら、ロードスターを手放す理由のうち、「コストの割に満足度が低い」というのは、本当に正しいんだろうか。
満足度が低い、と私は計算していました。でも、北海道での12日間は、明らかに満足度が高かった。数字の上では「効率の悪い2台目」でも、心の上では、そう単純じゃない。
効率で割り切れるものと、割り切れないもの。お金の出口と、心の出口は、やっぱり別物なんだと思います。整理すれば気持ちいい、というのは確かです。でも、整理した後に残るのが、少し寂しい身軽さだとしたら——それは、私が練習している「使い方」とは、違う気がしました。
それでも、たぶん私は手放す
では、結局どうするのか。
正直、まだ完全には決めていません。でも、たぶん——私は、手放すのだと思います。
惜しい。心の底から、惜しい。それでも、収入がなくなる定年後に向けて、将来の不安材料は一つでも減らしておきたい。その気持ちが、最後はきっと勝つ。手放すというのは、私にとって、将来の不安を消すための作業なのです。
考えてみれば、走るのも同じでした。私は肺年齢を77歳と言われ、医師には「肺は元には戻らない」とも言われています。それでも、走れるうちは走ると決めている。限りがあると分かっているからこそ、今日の一本を、大事に走れるのです。
永遠に持っていられるものなんて、ないのだと思います。むしろ、終わりを自分で決めるからこそ、それまでの時間を、めいっぱい楽しめる。終わりがあるから、その時間が輝く。これは、命と同じなのかもしれません。そして、時間も、たぶん同じです。
だから、手放すその日まで——9万kmを一緒に走ってきた相棒との残りの時間を、私はちゃんと楽しもうと思います。終わりを決めたからこそ、残りが、いとおしくなる。きっと、命も、時間も、同じなのでしょう。


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