急がない移動——21時間のフェリーで、情報を切ったら、時間が戻ってきた

旅ー北海道ツーリング

こんにちは、西風スマイルです。

北海道へは、敦賀から夜行のフェリーで渡りました。23時55分発、苫小牧着まで、およそ21時間。飛行機なら2時間とかからない距離を、まる一日かけて移動する船旅です。

正直に言うと、出発前は少し身構えていました。21時間、ほぼ移動だけ。私は普段、走ったりブログを書いたりと、いつも何かしらのタスクを処理していて、じっとしているのが得意なほうではありません。体も動かさないし、退屈で調子を崩すんじゃないか、と。

ところが——これが、思いのほかよかったのです。今日は、その「急がない移動」の話を書きます。

何もしない時間を、強制的に手に入れた

船に乗ってしまえば、もう、できることは限られます。ネット環境はほぼなく、ゲームもない。当然、走ることもできない。やることがない、というより、「やれない」。

最初は手持ち無沙汰でした。
しかも、よりによって本とトランプを忘れてくる始末。ベッドは硬いし、枕は低い。部屋の広さは、まあ許容範囲。——書いていて、ずいぶん所帯じみていますが(笑)。

それでも、昼間からビールを開けて、窓の外の海を眺めていると、だんだん肩の力が抜けてきました。
5月のフェリーは、驚くほど空いていました。
船内は人もまばらで、それがまた静けさを後押ししてくれます。
私が子どもの頃に乗ったフェリーは、もっと人が多くて賑やかでした。
昔は予約の仕組みもなくて、四国へ渡るのに港で何時間も待った記憶もあります。

そんな昔と比べると、今回の21時間は、ゆっくりで、まったりで、それでいて、どこか満たされていました。何もしない時間を、強制的に手に入れる。これが、こんなに気持ちのいいものだとは思いませんでした。

スマホがない、というより「比較」がない

いわゆるデジタルデトックス、というやつです。

スマホを見られないと、時間がやけに長く感じます。
最初は落ち着かないかと思いましたが、意外とすぐに慣れました。
情報が入ってこないことが、不安ではなく、むしろ無心に近い感覚になっていく。
通知がならないだけで、脳の疲れ方が、明らかに違うのです。

そして、船の上でぼんやり考えていて、ひとつ腑に落ちたことがあります。

デジタルから離れるというのは、「情報」から離れること以上に、「比較」から離れることなのかもしれない、と。

スマホを開けば、誰かの暮らし、誰かの成果、誰かの旅が、勝手に目に入ってきます。
見たくなくても、比べてしまう。その回路が、電源を切ったように止まる。
これが、思った以上に効きました。——とはいえ、正直に白状すると、旅先では旅先で、つい人と比べてしまうんですけどね。そのあたりは、まだ修行が足りません。

「暇」と「余白」は、違う

21時間、何もしていないようで、頭の中は、わりと忙しく動いていました。

海を眺めていると、いくらでも想像がふくらみます。
これからのこと、やってみたいこと、そういうポジティブな妄想が、次から次へと出てくる。そして気づくと、私はその「何もない時間」を、ちゃんと楽しんでいました。

このとき、はっきり感じたのは——「暇」と「余白」は、違うということです。

暇は、意味のない、持て余す時間。
余白は、意味のある、何かが生まれる時間。同じ「何もしていない時間」でも、まるで別物です。
私にとって今回のフェリーは、暇ではなく、余白でした。

もっとも、完全に何もしなかったわけではありません。
船の中で、こうしてジャーナルを書いていたくらいですから、純度100%のデジタルデトックスとは言えません(笑)。
でも、それでいいのだと思います。余白の時間に、頭が勝手に動き出して、何かを書きたくなる。その状態こそ、私が欲しかったものでした。

夫婦の会話が、自然と増えた

もうひとつ、はっきりした変化がありました。妻との会話が、自然と増えたのです。

スマホを見ない、ということは、お互いの顔を見て話す時間が増える、ということでもあります。
ある意味、スマホの毒抜き。妻のほうも、毎日の「今日の献立、どうしよう」という地獄から解放されて、どこかのびのびしているように見えました。

私たちは、結婚して34年になります。
子どもが小さい頃、
私が仕事で行き詰まった時期、
老後の資金をどうするか
——両親には頼れず、いつも二人だけで、なんとかやってきました。
気がつけば、戦友のような間柄です。

その妻と、船の上で「列車の旅もいいね」「飛行機なら、何時間までなら乗れるかな」なんて、とりとめのない話をしている。若い頃は、こんなことを考える余裕もありませんでした。あの頃は、ただ目の前のことに、精一杯だったのです。

「急がなくていい」——でも、急ぐべきこともある

こういう話を書くと、「人生、もっとゆっくりでいい」という結論に落としたくなります。でも、私の本音は、少しだけ違います。

確かに、仕事も、お金も、もう、がむしゃらに急ぐ必要はなくなりました。
58歳になって一番変わったのは、お金を使う価値観です。
貯めることばかり考えていた私が、こうして時間と経験にお金を使えるようになった。
それは、急がなくてよくなった証拠かもしれません。

でも、生き方そのものは——むしろ、急がないといけない、とも思っています。

定年まで、あと約2年。残された時間は、無限ではありません。船旅は、その「人生の速度」を、目に見える形にしてくれた気がします。ゆっくり進む船の上だからこそ、逆に、自分に残された時間の輪郭が、はっきり見えてくる。

45歳の頃の私が、今のこの時間を見たら、きっと別世界だと驚くでしょう。あの頃は、それくらい苦しかった。だからこそ、今この余白を、ただ流すのではなく、ちゃんと使いたいと思うのです。

この時間が、私にくれたもの

やがて、苫小牧の港が近づいてきました。ここから、北海道の旅が始まります。

この21時間で、私は何を得たんだろう、と考えました。「持ち帰る」には、まだ早い。
旅は、これからなのですから。むしろこの船の上の余白は、これからの旅に「持っていくもの」を、そっと用意してくれた気がします。

いちばんは、妻との時間のリズムでしょうか。スマホを置いて、顔を見て話す。その感覚を取り戻したまま、私たちは北海道に降り立ちます。この夫婦の時間を、そっくりそのまま旅に持っていけるなら、それだけでもう、十分な収穫です。

そして、もうひとつ。デジタルを切って、たっぷりの自由な時間を手にして、改めて思いました。——自由を飼い慣らすのは、案外、難しい。

何の予定もない時間は、気持ちがいい。でも、ただ放っておくと、その自由は持て余されて、いつのまにか「暇」のほうへ転がっていきます。今回は、海を眺め、妻と話し、ジャーナルを書くことで、なんとか「余白」の側にとどまれました。でも、もしこれが定年後の、毎日続く自由だったら——私は、うまく飼い慣らせるだろうか。正直、少し自信がありません。

「自由って、結局なんですか」と聞かれても、今の私には、まだうまく答えられません。まだ分からないし、そもそも、まだ完全に自由になったわけでもないからです。

ともあれ、まずは目の前の北海道です。21時間の余白がくれた静けさを、少しだけポケットに入れて、私はロードスターのキーを握ります。

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